ども、ブラジルより豚汁のendyです。
●夕刊の記事に
しょう油顔のエリーの話を書いたら、もうひとつブラジルの話を思い出しました。
高校生の頃、夕刊を読んでいましたら、「ブラジル移民」の記事を発見。
ブラジルに移民する人を募集している記事でした。
単純な私の心は、たちまちブラジルに飛んでいってしまいました。
「ブラジルに行きたい!毎晩歌って踊って暮らしたい!」
そう思った私はすぐに実行に移すことにしました。
どうしたらブラジルに移民することができるのか?
当時はインターネットなどありません。
考えた末、外国のことは外務省に聞けばいいのではないかと思い、私は外務省に手紙を書いてみました。
「ブラジルに移民するためにはどうしたらいいんですか?」
●外務省からの回答
数日たったある日、大きな封筒が私宛に届きました。
差出人は外務省と書いてあります。
中を開けると、何やら立派なハンコまで押してあります。
内容は私のブラジル移民に関する回答です。
移民になる為の条件としては、「農家の出身者か、農業系大学を卒業した者」とあります。
要するにブラジルに行ったら、農園で働くのでしょう。
残念ながら、私の親戚には農家はいません。
となれば、答えはひとつです。
当時高校2年で、進学のことなどまだ真剣に考えておりませんでしたが、私の心は決まりました。
「東京農業大学を受験する!」
その頃はまだ、ダイコン踊りとかやってるなんて知りませんでした。
●ゼロ戦飛ぶ

その2週間後、数学の授業で抜き打ちテストがありました。
理系といえば、まずは数学。
まだ文系に進むか理系に進むかはっきり決めていなかった私にとって、いわば、私をブラジルに連れて行ってくれる試験でもあったわけです。
数日後、その答案を返す日が来ました。
先生は渋い顔をして、私たちをにらみます。
どうやらみんな成績がよくないようです。
実は私も全く自信がありません。
「遠藤くーん」
名前を呼ばれて飛び出したのですが、既に私の答案は先生の手から離れて・・・。
というか捨てられました。
ヒラヒラと舞う私の答案をあわてて捕まえると、そこには赤い字で「0」と書いてありました。
マルではありません、「ゼロ」です。いわゆる「レーテン」ですな。
初めての0点でした。
数学で0点のヤツが、理系の大学を受験できるわけがありません。
かくして私の理系進学の夢ははかなく消え、頭の中でサンバを踊っている私は盆踊りを始めました。
●夢ははかなく親孝行
数日後、自宅で新聞を読んでいると、母が近づいてきてこう言いました。
「あんた、日本もいいところだヨ。」
一瞬何のことかと思いましたが、どうやら母はあの外務省からの手紙を見つけて読んでしまったようなのです。
自分の息子がブラジルへの移民を考えている・・・。
母はそう思ったのでしょう。
結果的に「0点」のおかげでブラジル移民計画はオジャンになりましたが、本意ではないとはいえ、結果的に私は親孝行をしたようです。



※出前コンサートのリポートをアップしました。
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