カナコラム  (更新 月曜:かなこ、木曜:endy )

味は落ちたのか? by endy

2005/06/09

ども、餞別が戻ってきて得した気分のendyです。

●「食」にこだわる

世の中には「食」にこだわっている人がたくさんいます。
インターネットでも、美味しいお店を紹介するサイトやそのレシピを紹介しているサイトもたくさんあります。
私もものすごくこだわっている訳ではありませんが、「食」というものに対して私なりのユルーいこだわりを持っています。
最近、地元の人がよく利用する「食」に関するネット掲示板をよく見ています。
ここでは地元で美味しい店を紹介したり、感想を書いたりしているわけです。
「一体、最近どんなお店が話題になっているのだろう?」
「あの店は行ったことがないけど、どんな感じなんだろう?」
そういった疑問に正確ではないにしろ、多少なりとも予備知識を与えてくれます。

●「美味い」「いや美味くない」

とは言え、中には「うーん」と思ってしまうこともしばしばです。
例えば、「あのお店のラーメンはうまい」と誰かが言えば、「あそこのラーメンがうまいなんて信じられない」と返事が返って来て論争になるなんてことはよくあること。
そもそも味なんてものは人それぞれで、誰が食べてもうまいなんてものはこの世に存在しなくて当たり前なのです。
我々日本人が美味しいと思っている刺身も、欧米では手をつける人も少ないでしょうし、オーストラリアのアボリジニのごちそうであるミミズは、私もちょっと食べられそうにないです。
おそらく「美味い」「いやそんなことない」と掲示板上で言い合いをしている彼らもそんなことは百も承知なんでしょうけど、ちょっとした言葉尻が気に入らないんでしょうね。

●昔に比べて・・・

よく見るのがこんなフレーズ。
「あそこのお店は昔に比べて味が落ちた。」というもの。
掲示板だけでなく、個人でお店の評価をする自称グルメ評論家達がよく使うフレーズです。
これってどうなのかな?と思います。
書いてある評価を読んでみると、
「私が3年前に行った時の味と比べると、若干味が落ちたように思える」
などと平気で書いてあるのです。
プロの料理評論家であっても、3年前に一度しか食べていない料理を記憶に残し、今の味と比較することなんて難しいと思いませんか?
私なんて昨日食べた晩飯の味さえ思い出せない。

●人の味覚

人間の記憶というものは、得てして過去の記憶を美化してしまうもの。
「時間」という調味料が、記憶の中にある味をゆっくり調理していくのです。
それは美味しくはするけれど、まずくすることは滅多にありません。
加えて本人の体調もあります。
夏場、汗をかいていれば、ちょっと塩味が強いほうが美味しいと感じるかもしれませんし、お腹がすいている時に食べたものは、本来の味に2割増の評価を与えたりします。
まして友人や雑誌からの事前情報も、評価を左右するかもしれません。
前評判が高ければ「意外とそうでもなかった」となりがちですし、自分が偶然見つけたお店は「意外と美味しい!」となるのです。
それにお店だって、毎日美味しくなるように研究努力をしているかもしれません。
人気がない頃に食べた後、その店が人気店になれば、そこにも複雑な感情が働きます。
その位、人の味覚なんていい加減なものです。

●100杯の1割

私がこよなく愛してやまない「かた焼きそば」を出すお店
昨年の夏に初めて食べてから今に至るまで、同じメニューを毎回頼んでいますので、かれこれ100杯くらいは食べているでしょうか。
その100杯のうち、私の好みにドンピシャリという出来は9割程度です。
残りの1割は、麺の揚げ方が浅かったり、あんのトロミ加減がゆるかったり、盛り付けが美しくなかったりするのです。
もちろんこれとて私の中の基準です。
もし私が2回目に食べたかた焼きそばが、1割の好みではない出来であったら「味が落ちた」という評価をするでしょうか?
私にはそんなこと出来ません。
私はその1割も含めてそのお店の「かた焼きそば」を愛しているのです。

函館邦楽舞踊協会研鑚会函館三曲協会定期演奏会のリポートをアップしました。

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