70周年記念 箏曲美音和会演奏会 〜日本の響き〜           2007/06/10(日)函館市芸術ホール

箏曲美音和会の歴史 〜箏の先生になるんや!〜

箏曲美音和会が生まれるまでの歴史を少し書きます。
6男4女の10人兄弟姉妹の末っ子として、大正4年に生まれた母。
兄一人姉一人は幼くして亡くなり、また母の父は母が2歳の時病死。
そして母自身、4歳の時に小児麻痺にかかり、13歳から松葉杖との生活でした。

箏を習うことになった母は実際は小唄・端唄など粋な世界が好きだったとのこと。
一時期、小唄や端唄を芸者さんから習った事もあったそうです。
が、能登出身の父方の祖母は厳格な人。
『箏の先生になるんや!』と言われて育った母。
『身体が不自由だから自立のために芸事を身に付けさせようと思ったんだろうね・・・。』と母は回想します。

箏曲美音和会の歴史 〜上京〜

昭和9年の函館大火に罹災。
着の身着のままで助かった母。
家も財産も全て焼けたそうです。
が、親兄弟姉妹の使命感だったのでしょうか、約束していた母の上京は実行されました。
昭和11年に上京。
当時は東京まで行くには船と列車で24時間かかったそうです。

限られた期間の修行でしたから、五つ稽古(一週間に5曲学ぶこと)だったそうです。
幸いにも母は天才的な人ですから、辛い稽古とは思わなかったとか。
「楽しかったよ〜!」と言います。
古典から当時の新曲まで、嬉々として吸収したそうです。

箏曲美音和会の歴史 〜帰函〜

東京にとどまって箏の道を歩んではどうか・・・と、当時の先生(吉田恭子師)に言われたそうですが母は帰函しました。
実家の側にお稽古所を設けて待ってくれていたそうです。
自立。
母の教授活動は昭和12年開始。
この年に箏曲美音和会が生まれました。

以来 戦争、自身の病、夫(加奈古の父)の病と長い闘病生活、その他諸々辛い時代もあったようですが、
『常にお弟子さん達に励まされて続けてこられた。』と母は言います。
「細くても良いのだから 長く続けることが大事なんだよ。」と言います。

箏曲美音和会の歴史 〜使命感〜

母は古典・新古曲は申すに及ばず、その時代の新しい風を感じて演奏活動をしてきた人。
「温故知新」の精神。
強い精神力と持ち前の明るさとバイタリティーは常に前向き。
今で言うポジティブスィンキング?
「私の人生で悲しい思い出はひとつも無い!」と言い切る母は逞しい!
母は今年満92歳、美音和会は70歳。

母は「使命感」で箏の先生になった人だと思います。
私は単に箏が好きで箏を弾く人になった人。
ここが母との大きな違い。
結果的には箏曲美音和会を引き継ぎましたが、私には使命感が乏しかったのです。
「偶然の成り行きなの。」
「結果こうなっただけ。」
そうやって逃げて、教えるより弾きたい自分でした。

ここ数年、母の老いを目の当たりにし、母の生い立ちや芸事の思い出を聴きながら、私の中の何かが少し変化してきたようです・・・。
「この母から生まれた私なんだものね。」ということ。

演奏会 〜準備〜

「2007年6月10日の記念演奏会」に向って、お弟子さん達と歩いたり走ったりしてきました。
そして「記念演奏会」は盛会で終わりました。

9日(前日)は賛助の先生を交えての最終練習。
この日は快晴でした。
熱気(?)と気温とで「暑い!」
まだ「冷房」が入らない練習会場で汗汗。
門人の一人の言は「冷や汗も含めて汗だくですゥ〜。」

ようやく全員揃って練習が出来た貴重な前日・・・。
「本番は明日なんですもんね〜!」と言うお弟子さん達の緊張した顔は輝いていてとてもステキでした。
賛助出演してくださった河野先生も高野先生も「和み系」の先生達。
安心して会に臨めました。
準備は万全ではあっても明日は明日。(ちょっと不安・・・)

演奏会 〜お客様の列〜

そして迎えた当日の朝。
これまた快晴!
多くのお客様が列をつくって開場を待ってくださっている。
なんと嬉しいことでしょう!
お祝いのお花もたくさん頂き、芸術ホールロビーは色とりどりの花畑!
500名を越すお客様を前に、練習の成果を発揮出来た良い会だったと自負しています。

出演したお弟子さん達は演奏と楽屋の準備、出演しなかったお弟子さん達は受付や裏方業務。
それぞれの立場で精一杯踏ん張ってくれました。
創始者・宮崎美音和(母)が存命中に70周年を祝えるという喜びの中で、明るくのびやかにこの日を過ごせました。

演奏会 〜心はひとつ!〜

母が顧問を務める「函館三曲協会」の有志の先生達は、私が創作した三弦替手と十七弦の編曲を交えて合奏曲となった「八千代獅子」の本手パートを弾いてくださいました。
山田流二派・生田流二派・尺八都山流の諸先生、河野先生、高野先生、美音和会の合同演奏。
河野先生に能管を加えていただけて華やかな幕開けとなりました。

全八曲のプログラム。
小学生・中学生・高校生・成年・熟年・・・会員さんの心はひとつ!
良い演奏でした。
お客様からも大好評でした。
初めて箏の会に来てくださった方も大勢いらっしゃったようでしたが、素晴らしかったと感想を頂いています。(あ〜、良かった〜!)

演奏会 〜遠方より〜

ここでちょっと裏話。
今回はお弟子さんの知人の方達が九州、東京、帯広からおいでくださったとのこと。
そして私の知人(箏の師匠格)も母に会いに(?)来てくださって、ついでに・・・ではないけれど演奏会も聴いてくれました。

高野雅慶先生のお仲間(これまた箏の師匠格)やお弟子様達御一行様は、函館一泊ツアーで御来函でした。
朝市の海鮮丼は種類が多いし美味しかったし、函館は風情のある街で綺麗だったと言ってくださって!
好天に恵まれての函館観光も楽しんでいただけたようで、これまた嬉しい事でした!
(私もご一緒したかった・・・)

当日の母は迷惑をかけたくないからと家で留守番でした。
DVDを見せました。(聴かせました。)
『凛とした舞台。凛とした演奏。皆さん立派!』という感想を貰えました。

演奏会 〜努力したこと〜

演奏会・・・二度と同じ日・同じ時間・同じ会は無い。
毎回が「一度きり」。
長い時間をかけてお稽古をし会を迎える。
その結果は約2時間のステージで燃焼する。
でも燃焼して「消える」?

演奏会に向けて頑張ろう!の目的は何なのでしょう?
勿論 その日の発表を充実させるためではありますが、会に向う経緯に大きな意味があると思っています。
経緯とは・・・練習と努力=音楽と向かい合う濃い時間。
各自がバージョンアップ出来る時間なのだと考えます。
箏への思いや箏への愛も生まれる時間だと思います。
そう思って欲しいと思います。

演奏会は終わっても「経緯=努力したこと」は消えません!
「マズった・・・。」があったら次への教訓にして欲しいし。
(マズった・・・は無い方が良いけれどね。)
こんな話をお弟子さんに向けます。
が、これは実は自問自答。
私自身への言葉。

演奏会 〜感謝、そして次のステップ〜

これからも「日本の音」を大切に頑張ります。
現在 私に習ってくれている門下生様達 ご苦労様でした!
ご来場くださった皆様、ご支援くださった皆様ありがとうございました。
そして母「宮崎美音和師」に感謝です!

節目の会をお弟子さん達と完遂出来、安堵した私の次のステップは・・・
来年5月11日(日)の午後 25年ぶりのリサイタルを開催予定です。
弾きたい曲がたくさんあります。(弾ける曲に非ず)
【努力はきっと報われる】と信じて励みます!

☆メデタシメデタシ☆

 

photo by yagi, photo alpha reported by kanako